今日は、僕がなぜ父親の後を継いでクリーニング屋になったのかを書きたいと思います。
僕は、もともとクリーニング屋をやろうという気持ちは無く、高校卒業後建設関係の専門学校に進学して、就職先もシールド工法というトンネル掘削技術を得意とする会社に入社して、現場監督として働いていました。その仕事は、体力的にはハードな仕事でしたが、仕事は楽しく現場の仲間もみないい人達でやりがいのある仕事でした。今でも、僕が建設に携わった地下鉄に乗ると、その時の思い出が頭に浮かんできます。僕は、その仕事をずっと続けていきたいと考えていました。ところが、25歳になったある時、僕の体に異変が起きました。突然、腰に激痛が走ったのです。これはまずいと思い、病院に行って診察をしてもらうと、1か月以上は入院して治療が必要との診断を受けました。もちろん仕事はしばらくの間休まなければなりませんでした。建設現場での仕事は体力勝負で、現場監督とはいえまだ若い自分は、力仕事をしたりしていました。僕は、体も大きく、力には自信があったので、その様な仕事を率先してやっていました。そんな毎日の仕事が、知らない間に腰に大きな負担をかけていたのです。
病床で僕は、「このままこの仕事を続けていていいのだろうか?回復して復帰したとしても、いつまた腰痛が襲ってくるか分からない!仕事を休めば、会社にも迷惑かけるな。やっぱりクリーニング屋を継いだ方がいいのかな?」と考えるようになりました。
そんな時、僕の病室に運送会社を経営するある患者さんが、交通事故で怪我をして入院してきました。その患者さんには、小学校3年生位の娘さんがいて、学校が終わると、毎日のようにお父さんのお見舞いに来ていました。
僕は、とても子供が好きな性格です。子供には、それが分かるのでしょうか!いつしか、その子は、僕のベットのそばに来て腰をかけては、色々と話をするようになりました。とても素直でかわいらしい子供でした。その子は、とても人懐っこく、僕がリハビリの為に外出許可をもらって、隣町の春日部まで電車で出かけた時には、僕について来たくらいでした(笑) そんな子でしたから、他人の子供なのに、なぜか自分の子供のような気がしてとてもかわいかったです。
その子が、ある日僕にくれた言葉が人生の転機になりました。それは、「お兄ちゃんはね、お父さんと同じで、目がとても優しいの!お父さんはね、私達の為に毎日お仕事がんばってるんだよ!」という言葉でした。とても、嬉しかったです。話を聞くと、その子のお父さんも自営業なので、子供たちは親が働いている姿を毎日見ていたのです。それは、僕の子供の時と同じ境遇でした!クリーニング屋を継ごうと思っていなかった自分でしたが、一生懸命働いていた両親の姿を見ていた自分は、親への感謝の気持ちだけは、ずっと持ち続けていました。僕は、特に取り得のある人間ではありませんが、胸を張って言えるのは、人の心の痛みだけはわかる人間になれたという事です。当たり前の事ですが、電車の中でお年寄りや体の不自由な人をみかけたら、席を譲ったり、困っている人をみかけたら声をかけたりします。そのような自分になれたのは、両親のおかげだと思っています。そんな、僕を育ててくれた、両親が築いたお店をたった一代で終わらせるわけにはいかないと思ったのです。
そして、新たな夢が生まれました。それは、まだ結婚もしていない僕ですが、いつか大切にしたいと思う人に出逢ったら、その人と結婚して両親が築いたような家庭を築きたいと思うようになりました。自分の子供に自分が働いている姿を見せて、尊敬される父親になりたいと思ったのです。結婚できるかは、わかりませんがこれからもがんばっていこうと思います。
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